科学的証明とBeingの視点からの大転換
「お金があれば幸せになれるはず」——理工系学生なら一度は考えたことがあるだろう。
高年収の企業を目指すのは自然なことだし、実際にお金がもたらす安心感や余裕には確かな効果がある。
しかし、少し立ち止まって考えてみてほしい。
もしお金が幸せのすべてだとしたら、なぜ高収入の人の中にも悩みを抱える人がいるのだろう?
なぜ「お金では買えない幸せ」という言葉があるのだろう?
この疑問に対し、心理学・経済学・脳科学が興味深い答えを示している。
ここでは、理工系らしく“データと論理”で「お金と幸せ」の関係を読み解いてみよう。
年収と幸福度の複雑な関係:最新研究が示す真実
カーネマン&ディートン研究とその後の論争
2010年、ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンが発表した研究は、世界に衝撃を与えた。
約45万人のアメリカ人を対象とした調査で、
「年収7.5万ドル(当時のレートで約800万円)を超えると、日々の感情的幸福は頭打ちになる」
という結果を示したのだ。
カーネマン&ディートン研究の主な発見:
- 年収7.5万ドル未満では、収入と幸福度に強い正の相関
- 7.5万ドルを超えると、その相関が急激に弱まる
- ただし「人生満足度(評価的幸福)」は収入とともに上昇し続ける

しかし、この「年収800万円で幸福が頭打ち」という説は後に覆される。
2021年、ペンシルベニア大学のマシュー・キリングワースは3万3000人を対象に、
「年収が高くなるほど幸福度も上昇し続ける」
という正反対の結果を発表した。

その後、2023年にカーネマン本人とキリングワースが共同研究を実施。
結果、「幸福度によってお金の影響が異なる」ことが明らかになった。
※上記2つの図表は本文に記載の研究を基に作成したイメージです。
共同研究の結論:
- 幸福度が低い人(全体の約20%)は、年収約800万円で上昇が鈍化
- 幸福度が中程度以上の人は、収入が上がるほど幸福度も上昇
日本のデータが示すリアル
内閣府「満足度・生活の質に関する調査」によると、年収が高いほど生活満足度も上がる傾向がある。
ただし、上昇の度合いは次第に緩やかになる。
日本の年収別・生活満足度(概算値):
- 年収300万円未満:満足度 5.8 / 10
- 年収500〜700万円:6.4 / 10
- 年収1000万円以上:7.1 / 10
(※内閣府調査を基にした推定値)
理工系学部卒業生の初任給は文系より約10〜15%高く、
技術職の平均年収も全職種平均を上回る(厚生労働省・賃金構造基本統計調査)。
つまり理工系学生は、幸福度の上昇が見られる年収帯に届きやすい立場にある。
だが、ここからが本当の問いである。
ヘドニック・トレッドミル:なぜ慣れてしまうのか

「ヘドニック・トレッドミル(快楽のランニングマシン)」とは、1970年代に心理学者フィリップ・ブリックマンが提唱した理論で、
「人は良いことにも悪いことにも慣れ、幸福度は元の水準に戻る」
というものだ。
具体例
- 年収が2倍になると最初は嬉しいが、半年ほどで「普通」になる
- 高級車の喜びは数週間で薄れる
- 広い家も、やがて「標準」になる
脳科学的メカニズム
脳内の報酬系である側坐核では、新しい刺激にドーパミンが分泌される。
しかし同じ刺激が繰り返されると分泌量が減少し、3週間で約半減することが実験で確認されている。
これは「予測誤差」と呼ばれ、脳の省エネ的適応反応である。
とはいえ、この現象が「お金は無意味」という証拠ではない。
お金は安心・自由・選択肢をもたらす重要なツールであり、その価値は慣れても消えない。
行動経済学が示す「幸せなお金の使い方」
ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ノートンらの研究では、
「お金の使い方が幸福度に大きく影響する」
ことが実証されている。
20ドルの実験で、「他人のために使った人」の方が夕方の幸福度が高かったという。
幸福度を高めるお金の使い方:
- 体験購入 > 物質購入(旅行・学習)
- 他者貢献 > 自己消費(寄付・プレゼント)
- 時間購入 > 物質購入(時短サービス)
- 少額多頻度 > 高額一回(小さな楽しみを増やす)

技術者のやりがいと報酬のバランス
理工系の仕事は、金銭以外の報酬が多い。
非金銭的報酬の例:
- 問題解決による達成感
- プロダクトが社会で使われる意義
- 新技術に触れ続ける知的刺激
- 専門性による誇りやアイデンティティ
ただし、非金銭的報酬を重視しすぎて金銭評価を軽視するのも危険だ。
お金は選択肢を広げ、技術を磨く環境を支える基盤でもある。
理想は「やりがい×報酬=持続的幸福」の両立だ。
幸福度を左右する要因(多変量解析より)
幸福度への寄与率(概算)
- 人間関係の質:25〜30%
- 健康状態:20〜25%
- 経済状況:10〜15%
- 仕事の満足度:10〜15%
- 性格特性:10〜15%
- その他(住環境・趣味など):15〜20%
→ 経済的要因は確かに影響するが、「決定打」ではない。
人間関係・健康・心理的成長の方が、幸福の持続性に寄与する。
理工系学生のための「幸福の設計図」
お金との健全な関係を築く
- 必要年収を把握し、それ以上は「選択肢のツール」と考える
- 物質的満足よりも心の充実を重視
技術者としてのアイデンティティを育てる
- 社会に貢献する実感を大切に
- 学びと成長を楽しむ
- 技術コミュニティとのつながりを保つ
データに基づく自己理解
- 自分の幸福要因を分析
- 主観的幸福と客観的幸福の両立
- 認知バイアスを意識して判断する
長期的キャリア設計
- やりがいと報酬の両立を意識
- 技術的成長と人間的成長を両立
- 変化に適応できる柔軟性を持つ
今日からできる小さな実践
- 感謝の記録をつける(毎日3つ)
- 新しい技術に触れる
- 人とのつながりを大切にする
- 体験にお金を使う
- 適度に運動する
最後に:幸せは「目指す」ものではなく「築く」もの
お金と幸せの関係を科学的に見ると、
重要なのはどちらか一方ではなくバランスだ。
お金は確かに選択肢を広げるが、幸福の持続には「成長」「感謝」「つながり」「自分らしさ」の実感が欠かせない。
理工系学生の君たちには、データを読み解く論理的思考力がある。
その力で、自分なりの「幸福の方程式」を見つけてほしい。
技術で社会を変える力を持つ君たちが、
まず自分自身の幸せを科学的にデザインできたなら、
それはきっと、社会全体の幸福を押し上げる力にもなる。

参考文献
- Daniel Kahneman & Angus Deaton (2010). “High income improves evaluation of life but not emotional well-being.” PNAS, 107(38), 16489–16493.
- Matthew A. Killingsworth (2021). “Experienced well-being rises with income, even above $75,000 per year.” PNAS, 118(4).
- Kahneman, D. & Killingsworth, M. A. (2023). “Income and emotional well-being: A conflict resolved.” PNAS, 120(13).
- 内閣府(2024)『満足度・生活の質に関する調査』。
- 厚生労働省(2024)『賃金構造基本統計調査』。
- Philip Brickman & Donald T. Campbell (1971). “Hedonic relativism and planning the good society.” Academic Press.
- Michael I. Norton et al. (2008). “Spending money on others promotes happiness.” Science, 319(5870), 1687–1688.
- Robert Waldinger(2023)『ハーバード式「幸せになる」研究』サンマーク出版。
- 前野隆司(2013)『幸せのメカニズム──実践・幸福学入門』講談社現代新書。